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第80話:その指で

名乗られるまで気付かなかったが、見知らぬ女はなるほどクラスメイトにとてもよく似ていた。肌の白さ、すらりとした四肢は同様に美しい。明るい色に染めた長い髪は丁寧に螺旋を描き、手入れの行き届いた爪には宝石をちりばめたような細工がなされていて、化粧も服装も目を引く華やかさだ。今はまだあどけなさの残るあの子も、何年か経って大人になればこんな感じなのかもしれない。
秋頃「姉に諭された」と乾が話していたっけ。荒牧は乾家の居間のソファの座り心地や、ランプシェードの透かし柄を思い出しながら、女の横顔を盗み見る。


なぎが何度もこちらを振り向きながら映画館のもぎりを通って行くのを眺めて、桂は荒牧に訊いた。
「彼女、幾つ?」

「中二です」
「ふーん…」
ずいぶんタイプが違うじゃない、桂は荒牧に言うでもなく独り言を放って、腕組みをする。
「いかにも「過保護にしてます」って感じね」
「…」
「まあ、良いけど。とりあえず巻き込まないでおいてあげる」
「すいません」
「梓も来てるの。呼んで良いわよね」
「はい」
桂は携帯電話を開き、荒牧を置いてすたすたと歩き出した。
「あず、すぐ映画館の階に来て。今すぐよ。良いから。うん、早くね」
命令のように妹を強引に呼び付け、桂は荒牧に手招きをしてベンチへと導いた。

「座ったら?」
桂は急いたリズムで長い爪をベンチにこつこつと打ち付けて、ミニスカートの脚を組む。荒牧は桂との間に一人分空けて座った。
その爪が折れそうな勢いで桂はバッグに手を突っ込み、煙草を取り出すも灰皿がない事に気付いて舌打ちをする。桂の苛立ちを隠そうともしない様に、荒牧は動じず、あるいは怯えているのか、床に視線を落として微動だにしない。
桂は組んだ華奢な膝に頬杖をついて、瞬きもせずに荒牧の顔を覗き込む。細い手首を擦り抜けてブレスレットが肘まで落ちた。
「…君、メグロくんて子?」
「いえ」
「セキグチくん?ウサミくん?」
「荒牧です」
「あ、そう…。聞いた事ないな…」

家族の団欒で話題に上がった事のある男子の名前が全て外れて、桂はますます眉根に皺を寄せる。妹は最大であるはずの存在を家族に話すのを避けていたようだ。いや、「アラマキ」なんて偽名ではないだろうな、あらぬ疑念すら浮かんで桂は冷静さを取り戻せなくなる。
妙に落ち着いた様子で聞かれた事だけに短く答える少年を、頭の先から爪先まで穴が開くほどに観察する。桂はどうしても納得がいかない。
(何よ。よくよく見ても、つまんなそうなフッツーの男…)
私服での印象も十人並みな少年だ。制服姿でないのだから、普通なら見過ごすところだろう。あんな一瞬でよく気付いたな、と、桂は我ながらに感心する。

両膝に手を置き、肩肘を張ってうつむく荒牧に、桂はにじり寄る。
「秋頃、よくうちに来てたでしょう?君は気付いてないと思うけど、しょっちゅう家の前で擦れ違ってたのよ、私と」
「そうでしたか」
「最近、来てる?」
「いえ」
「年明けくらいからかな。梓、元気ないのよね」
「…」
荒牧は黙ってしまう。返事もせず、ただ静かに瞬きをした荒牧の仕種で、桂の中で何かが発火した。
「君のせいなんじゃないの?」
「…」
「もう梓の事、飽きちゃった?」
「…」
「面倒臭くなっちゃった?」
「…」
「ねえ、ちょっとは何か言う事ないの?」
語気を荒らげて畳み掛けた桂に、通りすがった客が何人か振り向いた。それでも荒牧はうつむいたままだった。

桂は爪先に引っ掛けたパンプスをぶらぶらさせながら、言葉を待って威圧的に荒牧を見つめた。荒牧の唇は何度か細く開いて息を吸い込み、何かを言いかけたように微かに動いた。
桂は、ふと荒牧が自らの膝に置いた手に見入った。指は細く長く繊細そうでいて、節々が妙に太い。洒落っ気のない黒髪に真面目そうな眼鏡。胸に月桂樹の刺繍が入ったジャージは袖口がほつれ、薄汚れたスニーカーは少々、年季が入っている。ベンチの隅に置いたファーの付いたモッズコートは屋内の暖房の中では暑そうだ。日曜日、愛らしい年下の彼女と仲良く手をつなぎ、地元のショッピングモールへ流行りの映画を観に行く。高校生らしい、誰の目から見ても素朴で微笑ましく映る姿だ。
そんな一見して平凡で温和そうに見える彼の裏の顔を、桂は知っている。彼はもう一人の少女と身体で深く関わった。その指で弄び、短い期間で捨てた。あの地味過ぎるマフラーはもともと彼の物なのだろう、似合いもしないのに少女は毎日のように首に巻き付けて出かけて行く。そんな風に少女は彼を想い続けて、暗い部屋で独り泣き崩れる。
哀れだ。美しい少女が、可愛い妹がそんな粗略な扱いを受けているのだ。哀れである以上に腹立たしくて堪らない。絶対に許せない。

「いえ…」
荒牧は、指の節で眼鏡を押し上げ、
「言い訳にしかなりませんから」
たったそれだけはっきりとした声で言うと、再び黙りこくった。
「何、それ…!」
桂が瞬間湯沸かし器よろしく、ベンチから立ち上がると同時に、背後で声がした。
「お姉ちゃん…?」




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