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第78話:あね・いもうと

去年の秋だっただろうか。もっとさかのぼれば春だ。六歳下、高校二年生の妹・梓の様子が変わった事を、乾桂はまざまざと感じていた。

もともと梓は大人しい性格で、中学生の頃にはそれに輪をかけて暗い雰囲気を漂わせていた。学校でイジメられていたのかも知れない。高校受験で付けていた家庭教師の大学生と何かあったのかも知れない。姉の立場から、桂はただ見守るだけだった。
高校二年生になり、特別進学クラスに入る事が出来たのが自信につながったのか、梓はそれまでとは別人のように明るくなった。今までは家族にだけ振る舞っていた手作り菓子を、クラスメイトに配るのだと張り切っていた。マカロンの生地を絞る楽しげな横顔をよく覚えている。
夏には母親に浴衣をねだり、着付けて貰って嬉しそうに出かけて行った。帰って来た梓は少し気落ちしたような、冷めやらぬ熱に火照っているような顔をしていた。

そして秋、桂はそれが梓の恋だと悟った。


正午を過ぎ、広い会議室が女子社員の集団で埋まっていく。入社一年目の桂も同期の事務員らと集まって昼食を取るのが日常だ。
「もう盛っちゃって盛っちゃって、家でやりまくりだったワケよ」
桂は下世話に妹の恋をネタにしながら、長い爪で器用にコンビニの弁当の蓋をもぎ取る。同僚らに妹の話をするのは初めてではない。
「妹ちゃんも今時の高校生だもんね」
「でもうちの妹、そんな子じゃないんだよねー。真面目過ぎてちょっと暗いほどだったんだけど」
「お姉ちゃん、心配じゃん」
「うん。そんな事、親にバレたらおしまいだし」
物静かで厳格な父親とおっとりとした母親、引っ込み思案の次女、そこへ突然変異のように快活で奔放な長女の桂、乾家はそんな家庭だ。
「何が気に入らないって、妹の彼氏さ、ちょうどウチから出てくるのを何回か見た事あるんだけど…」

初めて眼鏡の少年を見たのは去年の秋だ。仕事が終わって家の近くまで来ると、愛犬の吠え声が聞こえた。宅配便でも来たのだろうか、そう思い、駆け出して角を曲がると、我が家の門扉を閉めている見知らぬ少年の姿が見えた。グレーのブレザーは梓と同じ高校の制服だ。二階の窓を見上げると、梓が少年を見下ろしていた。夏祭りから帰って来た時のような、憂いに満ちた顔をしていた。
かくして都内の会社から定時で帰る事が出来た日には、高確率でその少年を見かける事になった。統計的に一日置きに来ている事もわかった。

「全っ然フッツーなの。全っ然イケてない」
眼鏡以外にこれと言った特徴のない、凡庸とした容姿の少年を思い起こして、桂は舌打ちをする。
「へーえ、妹も美人なのにねー」
妹を見知っている同僚が言うと、桂は満面の笑みで携帯電話を取り出し、待ち受け画面をかざした。愛犬のラッキーを挟んで二人で撮った画像だ。双子にも間違われる顔立ちの姉妹だった。
「おおー、可愛い」
「しかも似てる」
同僚たちが口々に言う。梓は可愛くて仕方がない“自慢の妹”だ。桂は誇らしげに巻き髪に指を絡めて微笑む。
「でしょー?」
「かっちんをピュアにした感じ」
“かっちん”こと桂をからかう同僚を箸で指して、桂は胡散臭い笑顔で返す。
「私もピュアよ」
「はいはい、ピュアピュア」
桂の携帯電話のデータフォルダには梓と共に写った画像がいくつもあった。
「仲良いねー」
「シスコンの姉って珍しい」

暗かった少女が同級生らしき少年を想って微笑む、そんな細やかな恋を妹が謳歌している。姉として応援したい一方で、桂には許せない事が多々あった。
「でも、そいつにはもうフラれてるかも。最近、落ち込んじゃって可哀想で見てられない」
一度だけ梓に「ほどほどに」と諭した事があった。娘が少年を頻繁に家に連れ込んでいるなんて、父親に知られでもしたら家族の一大事だからだ。忠告のせいか、その直後からぷっつりと少年を見かける事はなくなった。季節は晩秋、冬に差し掛かっていた。
十七歳の少女が恋にかまけるのは極自然で、楽しい事ばかりでもないはずだ。少年を見かけなくなってからの梓は、落ち込んだかと思ったら、けろりとして再び薔薇色の頬で笑い、しかしある時からはどん底とも思える重い空気を醸し出していた。年明け早々に部屋で泣いているのを見た日が境だった。新学期が始まっても、梓の様子は深い底辺を彷徨っているようであった。

石を投げれば当たるくらい、どこにでも転がっていそうな平々凡々とした少年が、可愛い妹を泣かせた。そんな事が許されて良い訳がなかった。姉から見ても美しい妹ならば、男を選ぶ立場にいるのが当たり前のはずだ。桂は盲目に憤慨していた。
「もーお、とにかく不満で。しょーもない男に夢中になってるのが。全然、相談もしてくれないし」
桂は「ほどほどに」という忠告で、妹が相談を持ち掛けて来る事を期待していた。姉妹は普段から仲が良く、買い物も一緒、洋服の貸し借りもする。どうでも良い流行の話題で楽しく笑い合うのも良いが、梓には辛い時こそ自分を頼って欲しかったのだ。

同僚が「それからどうした」と恋愛ドラマの続きを訊くように、桂に言う。
「何でやりまくってるってわかったの?妹が言ったの?」
「あずの部屋、捜索したからね。ゴミ箱がイカ臭いから、漁ったらまんまと使用済みコンド…」
「おい!」
言いかけたところで一斉に同僚らのツッコミを食らう。
「お、お姉ちゃん…」
「乾さん、食事中…」
「でも避妊してくれるだけマシな方かもよ?」
桂はうなずきながらも、苛立たしげに箸をかちかちと鳴らした。
「とにかくムカつく。あの子、私によく似て素直で、私によく似て素直じゃないからさ」
「どっち、それ」
梓は一体、あの少年のどこに惹かれたというのだろうか。桂は、地味なマフラーを後生大事に身に着ける妹を思い返して、溜め息をついた。




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