第64話:少年と中毒
手が触れる。身体が近付く。些細な事で乾が過剰に反応すると、荒牧は何故か後ろめたい気分に襲われた。されてもいない美少女からの告白を断っているかのような憂鬱だった。
熱を込めた乾の視線にじわじわと焦がされ、そ知らぬ振りをしながら荒牧は消耗していった。
(あの香り…)
乾を抱く。甘い香りを感じる。その度に、夕日が迫る歩道橋での出来事を思い出す。首にぶら下がるように抱きすがる乾の身体は見た目以上にか細かった。
(あれは麻薬だ…)
本当に何かおかしな成分でも混じっているのではなかろうか、意識が朦朧としてしまうのだ。
もうあの時点から既に、乾との秘密の共有は始まっていたのかも知れない。
乗り換え駅までまだ数駅、荒牧の隣が空き、乾が向かいのシートから移って来た。
「シャケ、どうしたの?眠たい?」
「年がら年中、眠たいよ」
「さっき独りでニヤニヤしてたでしょー?」
乾は今日も甘い香りがする。無邪気に笑う唇が艶めいて、荒牧は思わず目をそらした。
「…カンちゃんさー、俺、最近ずっと考えてる事があんのよ」
「うん?」
「カンちゃんの局部の形状についてね、こう…」
荒牧は軽薄に、卑猥な身振り手振りを交えて冗談めかす。
「ちょっと!!」
乾は飛び上らんばかりに驚いて、荒牧の手をはたき落とす。
「ははは!痛い痛い!」
「もう!なんでそういう事!」
向かいのシートの宇佐美と後藤を気にして、乾は真っ赤になっていた。
「大丈夫、聞いてないから」
言う通り、幸い二人はお喋りに夢中で、荒牧と乾の会話に気付いている様子はない。
「な」
「もー…、本当やめて…。すぐそういう変な事言うんだもん…」
「ふははは」
「どう反応して良いかわかんないよ…」
半ばげんなりとした体の乾に、荒牧は大仰なジェスチャーを重ねる。
「あと、カンちゃんのおしゃぶりテクについて、こう…」
「も─────っ!!ムカつく!変態!!」
「痛い痛い痛い痛い!」
乾もさすがに怒って、荒牧の手や肩にビンタを浴びせる。ようやく宇佐美と後藤もそちらを見た。
「何だ、「変態」って…。何の話してんだよ…」
何故かやきもきとする宇佐美の横で、
「あれはイチャつきと取ってよろしい?」
後藤も呆れて笑った。
「…でもまあ、カンちゃん、前より元気じゃない?とりあえず良かったよ」
そう言う宇佐美に、後藤もうなずいた。
宇佐美の誕生日にと、乾の自宅でケーキを焼いた日の事だ。
乾の抱擁や口付けを受け入れながら、まさか、と眼前で起こっている現実を疑うのは、実は心のほんの小さな範囲だった。荒牧の内の圧倒的な欲情が瞬時に全てを塗り潰してしまった。
言われるがまま、荒牧は乾の膣の中に射精をした。身体が離れ、白濁した液体が流れ出して荒牧は我に返った。
荒牧に全て引き剥がされ、床に散乱する衣服を全裸の乾が一つずつ拾う。
(何だ、これ…)
ベッドの隅で着衣を整える乾の背中を、荒牧は直視する事が出来ずにいた。乾の希望を叶えたはずなのに、何故か哀れに映ったのだった。
(訳わかんねえ…)
頭は混乱するも、身体は冷静に身仕度を済ませていた。早くこの場から逃げ去りたい。その一心だった。
(結局、ヤリマンだったって事かよ…)
そんな醜聞を抱いた後で思い出す。自分の愚かさに身が捩れそうで、ひたすら頭をかきむしった。
(ああ…、良いのか、こんな事…。くそっ…アホだ…)
がくがくと震えながらボタンを留めている乾の背中に、荒牧は手を伸ばしかけた。抱き締めれば弁解の代わりになるだろうか?気持ちを勘違いされるだろうか?あらゆる思惑を巡らせても算出が出来なくて、荒牧は手を引っ込めてしまった。
「…カンちゃん」
「っ…」
呼びかけると乾はぴたりと動きを止めた。はっと息を飲む音が聞こえた。しかし何も答えようとはしなかった。
「明日な」
「…」
黙ったままの乾の後頭部をぎこちなく撫で、荒牧は部屋を後にした。
船橋競馬場駅のホームで、荒牧は呆然と立ち尽くした。
(今日、何しに来たんだっけ…)
くしゃみをすると背骨が軋む。
(そうだ、ケーキを…)
大事にしている幼い恋人、いつも一緒の仲間達、
(何やってんだ、俺は…)
何より乾の白い裸体が脳裏に浮かんだ。
(ああ…、寒い…)
さっきまで乾の中にいた自身に、一層、秋風が冷たく染みた。
向かいのホームに後藤がいた事など毛頭、気付くはずもなかった。
誰にも悟られる事なく、日々は続いた。
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