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第38話:重ねる

「カンちゃーん、俺ら先に帰るね」
放課後の教室で宇佐美の呑気な声が響いた。宇佐美の横にはいつものように荒牧の姿がある。
「うん、バイバーイ」
乾は、宇佐美に手を振る。
「カンちゃん」
荒牧の声に乾はよそ見をしたままだ。

荒牧は、感情の欠片もないかのような顔のまま続ける。
「じゃね。また明日」
「うん…。バイバイ」
やっと乾は答える。カバンに教科書をしまいながら、乾は急激に耳が紅潮するのを自覚していた。
乾は、教室を去る荒牧の背中を、こっそりと見送った。


ダイヤ通り運行中の快速電車のスピードがいつもよりも遅く感じる。
乾の自宅の最寄りである船橋競馬場駅のホームは夕暮れて肌寒くなっている。乾は躍り出るように下車し、辺りを見回しておもむろに携帯電話を取り出した。
乾は目線の先に何かを見つけて携帯をしまうと、ホームのベンチからゆらりと立ち上がった人影に向かって満面の笑みで手を振った。
穏やかな笑顔で荒牧もまた、乾に向かって手を挙げた。

乾家の玄関横では飼い犬のラッキーが、荒牧を見るや火が点いたように吠えた。
既に何度目かの訪問でも、なかなか覚えて貰えないようだ。それとも荒牧に敵の匂いでも感じ取っているのだろうか。
「どうぞー」
ついさっき放課後の教室で会話を交わした時とは別人のような弾む声で乾は荒牧を招き入れた。
「何か飲む?」
浮き足立ち、カバンを居間のソファに投げて置く。いつもはそんな行儀の悪い事はしないのに、今の乾はそんな自身に気付かない。

乾が冷蔵庫の取っ手に手を伸ばすと、荒牧は乾のその手をつかんだ。
「え?」
「…」
荒牧は駅で落ち合ってからずっと、上機嫌で喋り続ける乾に生返事をしていた。家に着いてからに至ってはまだ一言も発していない。
荒牧は、乾の腕を引くと二階の乾の自室へ向かった。
もはや勝手知ったる乾家。トイレの場所も、乾の部屋の奥は姉の部屋だという事も覚えた。
「ちょっと…、ねえ…」
「…」
荒牧は答えない。乾もようやく荒牧の異変に気付く。異変よりも“豹変”と言った方が正しかった。

ドアを開け、中に入るなり荒牧は強引に乾の腕を引き、肩を押してベッドへ倒す。
尻餅をついた乾を見下ろしながら、荒牧は制服の上着を脱ぎ捨てる。顔は冷徹なままだが、ネクタイを緩め、シャツの袖のボタンを外して腕をまくる手つきには焦燥が見て取れた。乾の首筋に顔を埋めると、とうに荒くなった息づかいで囁く。
「乾…」
「ん…」
乾は戸惑いながら荒牧の頭を胸に抱き、硬い髪の感触に酔った。

シャケの髪って、針金みたい…。寝癖、直し辛そう…

そうやってどうでもいい事を考えながら、乾はぼんやりと見慣れた天井を眺めて目を閉じるのだった。


荒牧は乾に覆いかぶさったまま低く呻いた。
日が沈みかけて薄暗くなった部屋。荒牧が初めて乾を抱いた日よりも浅い時間だったが、もう秋が深まって、あの時の部屋の暗みに似ていた。
乾も息を弾ませながら、荒牧の熱い背中に腕を回してシャツを握り締める。汗ばんだ頬に頬を擦り付けて余韻を味わう。
激しく身体を弄られるよりも、荒牧の高い体温に包まれているこの数秒が、乾は一番好きだった。

荒牧はやおら乾から離れて事の始末を始める。
まるで日常の事柄のように、ティッシュを数枚引き抜き、避妊具の口を縛り…、全てを淀みなく、実に事務的で慣れた手つきで片付けていく。今や塾のない日はこうして会っているのだから、慣れているのも当たり前なのかも知れない。
その背中を、まるでテレビでも観ているかのような他人事の気分で乾は眺めた。微睡みそうな快感の余波の中で、ようやく自分が全裸である事を思い出し、傍らのタオルケットを引き寄せて身体を隠した。

さっきまで自分の身体を支配していた男の余りに手際の良い仕種に、乾は寂寥を覚えて身震いをした。
まだ繋ぎ止めていたい。
とうとう最後まで脱がずにいたシャツを整えている荒牧の肩を、乾は力尽くで引き倒し、組み敷いた。
「おっ…」
荒牧は小さく反応してベッドに倒された。乾は荒牧の唇に唇を被せて、舌で舌を探り出す。
されるがまま、恍惚とした表情で自分の口に吸い付く女の顔を、荒牧は眺めていた。その目に一切の感情の光も持たないまま、しばらくは乾のしたいようにさせた。
「…ふはっ、もーう、苦しいって」
荒牧は苦笑いをしながら首をのけ反らせて乾の唇から逃れた。乾は名残惜しそうに荒牧の首にしがみついて頬擦りをする。

荒牧は乾に押しつぶされたまま、含み笑いをした。
「放課後にカンちゃんの家だと思ったら、もう授業中からずっと半勃ちだった」
「…」
「カンちゃんて感じ易いよな」
「ん…」
「今日は何回もいったね」
「うん…」
「最初の時はいかせようとか忘れてた、必死で」
「…」
「でも段々わかって来たよ、カンちゃんの身体」
荒牧は囁いて乾に耳にキスをする。
「ん…、恥ずかしい…」
乾は小さく呟いて荒牧に一層強く抱き着いた。

乾は「最初の時」の直後、幸いにして月経がいつもの通りにあった事を荒牧に報告していた。




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