第27話:燃える手(後編)
五人はデパート街をぶらついて、日暮れ前には祭り会場に移動した。
屋台で買い食いして花火までの時間を過ごした。お好み焼きだの焼きそばだのチョコバナナだのあんず飴だの、手分けして買い込んで持ち寄る。
ヨーヨーをすくって、当たらないクジを何度も引いて、射的が大きく外れて笑い合った。
気付けば風の温度も下がっていた。さわさわとそよいで、どこからか木の葉を運んだ。一葉、乾の髪に絡み付く。
乾は木の葉などには気付かないまま、何とか荒牧の隣りを確保しようと試みた。しかし、小規模ながら祭りは人を集め、思うように行動は出来ない。
花火が打ち上がった。
最初は「自衛隊の祭りに比べたらしょぼい」などと文句を言い合ったが、五人は中空に見蕩れてすぐに会話も途切れた。
乾は、不自然ながら宇佐美との間、荒牧の隣りに潜り込む。位置取りに成功して乾はそっとほくそ笑んだ。
花火を眺めるふりをして、花火の色に染まる荒牧の横顔を観察する。
歩道橋での事を、荒牧が忘れてしまったとは思い難い。しかしあの日以降、乾が抱き着いた事に、荒牧が言及する事はなかった。
いつもの無表情も気を使っているからだろうか。乾が独り何をどう思っても、今はただの自意識過剰だ。
乾は想いを巡らせながら、花火見物に来ていると言うのに、気付くとうつむいていた。
乾が不意に視線を感じて顔を上げると、荒牧が相変わらずの無表情で見つめていた。
片方の眉毛だけを動かして、飲んでいたラムネを突き出す。
「…飲まれます?」
「うんっ…」
乾は口元が緩むのを堪えて瓶に口を付ける。回し飲みなんて、今までだって教室でしょっちゅうしていた事だった。しかし、瓶を取り落とさんばかりに乾の手は震えた。
すると突然、荒牧が向き直り、乾に手を伸ばした。
「えっ…?」
乾は動揺して身を強張らせた。瓶の中のビー玉がからりと揺れて、乾の唇からラムネがこぼれる。荒牧の手が乾の髪に触れる。
「葉っぱ。さっきからずっと付いてた」
荒牧は顔色も変えずに木の葉を取り除くと、弁解するように乾に見せて捨てた。

乾は慌てて口元を拭った。既にぬるくなったラムネの瓶が冷たく感じるほど、乾の体温は上昇した。
「あ、…ありがと…」
「ん…」
荒牧は気の抜けた返事をする。
一瞬、荒牧が気まずそうな顔をした。いや、そんな顔をした気がして、乾の胸にぷつりと音を立ててトゲが刺さる。
それを知ってか知らずか、荒牧は何やら宇佐美らに下らない冗談を投げて笑った。
乾は荒牧の笑顔を、何故か懐かしいような気分で見ていた。
恋だと思い込んだら、ただの笑顔にも他に意味があるように思えた。乾は、こうして心が捻り曲がり、疑り深く、卑屈になっていくのをまざまざと自覚していた。
いちいち顔色をうかがう乾をよそに、荒牧は仲間と朗らかに笑う。きっとその裏に意味なんかない。懐かしい気分は、初めて会った時の屈託のない荒牧の様子を思い出しているからだ。
ほんの数ヶ月前は、まだ何ら意識もせずに笑い合えた。恋人と帰って行く後ろ姿を、本当に微笑ましいと思っていた。
終盤の数発は盛大に、花火大会は終了した。人混みが一斉に動き出す。
小柄な宇佐美や後藤の姿はすぐに群衆に飲まれ、上背のある関口も見当たらない。
「あ、あれ?みんなは?」
横にいるはずの荒牧に言ったつもりの言葉が空を切る。荒牧もいなくなった。
急激に不安が襲う。履き慣れない下駄でよろめきながら歩き出そうとした瞬間、誰かが乾の手首を力強くつかんだ。
「乾、こっち」
いつの間にか乾の背後に回っていた荒牧だった。
荒牧の手は熱を帯びて皮膚が焼け付くようだ。
「あっ…」
乾は動揺して思わず声を上げる。途端に荒牧は手を放した。
「…はぐれるなよ」
言いながら、さっきよりもあからさまに荒牧は気まずそうな顔をした。
「うん…」
乾の胸のトゲの傷から、じわりと血が浮き出る。
荒牧は乾を気にしながら、緩い速度で駅の方へと歩き出す。それでも人混みと下駄の痛みで距離が生まれそうになる。乾はとっさに荒牧のポロシャツの裾をつかんだ。
服を引っ張られて、荒牧は微かに乾を振り返る。
(服つかんだりして…、嫌かな…?)
乾は荒牧の反応を待ってその横顔を見つめた。
見つめながら、一瞬だけ手首をつかまれて感じた荒牧の体温を反芻した。
その温度には覚えがあった。歩道橋で一度だけ味わった温度だ。発熱しているかのような、高い体温。
蕩けるような記憶に浸りながら、判断能力が一気に低下した頭の中で、何故かポロシャツの手触りだけが鮮明になる。
想いをよそに、荒牧はされるがまま、乾を駅へと導いた。
「お、いた」
「こっちこっち」
駅前では既に仲間が荒牧と乾を待ち構えていた。宇佐美が手招きをする。誰にも見られない内に、乾は荒牧の服の裾をそっと放した。
「さては二人で消えようとしてただろー?」
「もう!してないよっ!」
関口がからかうと乾は火がついたようにムキになった。乾は顔が赤くなるのを感じながら、荒牧の様子を盗み見る。
「ははは」
荒牧はそっぽを向いたまま笑殺するだけだった。
「やっぱ来年は自衛隊のに行こうよ」
宇佐美が言うと荒牧も同意した。
「そうだな。自衛隊の花火の方が全然良い」
「おばけ屋敷も面白いし」
後藤も関口も、荒牧と宇佐美の地元民トークに身を乗り出す。宇佐美は地元愛が強く、自衛隊の祭りも我が事のように誇らしげだ。
仲間が賑々しく笑う中、乾は浮かない顔をした。
後悔するのはあの歩道橋での行動だ。触れる事が出来た喜びと引き換えに、この先はずっとこんな風に気不味いのだろうか。
シャケ、やっぱりあんなの嫌だったんだね、きっと…
もう普通に喋れないかも…
ああ…、でも全部、自業自得…
「カンちゃん、聞いてる?」
気付くと荒牧が乾の隣りを歩いていた。荒牧は乾の顔を覗き込む。
「どうした?」
「え?」
「カンちゃんさ、今日、いつも以上にボッケボケしとるでしょ」
「え…」
「楽しくなかった?」
「えっ、そんな…、楽しかったよ?」
「なら良いけど。…しんどい?」
「…うん、ちょっと…。下駄、痛くなっちゃって…」
確かに荒牧を想って気分が沈んではいたが、乾は慣れない格好で歩き回って疲れ果てていた。荒牧は辺りを見回しながら言う。
「あー、そっか。どっか座れる所でも探すか」
「ううん、大丈夫…」
優しさに胸が高鳴る。乾は荒牧を見上げた。
「来年もみんなで祭り行こうな、って」
荒牧は微笑む。
背後に駅前商店街の提灯が揺らめいて、暗くてよく見えない。けれど、いつも通りの顔だ。その顔に裏などないのだ、きっと。───乾はそう自分に言い聞かせる。
「…うん」
荒牧の微笑みに、乾も精一杯の笑顔で答えた。
(2年生の夏休み・了)
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